R050117 震災28年
黙祷
あの日、神戸は大変なことになりました。僕は大学生で姫路にいました。
自分は成人式にも参加せず、深夜ファミレスでバイトの毎日でした。神戸の友人が17日にテストがあるから下宿アパートに泊まりに来てて、テスト勉強もせず、たしかスーパーファミコンのファミスタを徹夜でやってる最中の明け方にどっかーんと揺れました。
もちろん、休校になり、友達の自宅の安否確認の電話も不通。JRも電話も不通になり、友達は家に帰ることができず、しばらく泊めてあげました。当時、父の職場は神戸でした。発生時間が昼間なら父が巻き込まれていたかもしれません。
テレビのニュースばかり見てました。
ボー然の日々でした。
なんか、ぬくぬくと育って、のほほんと生活してたけど、急にあんなことになり、どうしてよいか、まったくわからず。自分たちは無事だしそんなに被害もないけど、同じ県民の痛ましい出来事や思いとか、苦しみとか、悲しみとかが、とても他人事ではない気はしていました。だからといって、ボランティアなどに行く行動力もなく、何か物的支援をしたわけでもなかった。あの当時はまだ災害ボランティアが広く知られていなかった。でも、知られていないからといって行動しなかった理由にもならない。
困っている人たちがたくさんいることを、見てるだけでした。気持ちはざわざわしていました。
いてもたっても居られない方や行動力のある方は、現地へ行き、救助活動から、炊き出し、避難所の支援、物資のお届け、遠方からおにぎりをたくさん作って届けに行ったりと、可能な限りのことをされていたと、後から知りました。
あれから28年。自分にとってあの震災が糧になっているでしょうか。いろんな意味で自分は成長したのでしょうか。今もし起こったら行動できるでしょうか。